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入り組んだ街の一角。高い建物の隙間から覗いていた空の色がくすみ、頬に落ちてきた冷たい雫が少年の目を覚ます。雫はあちこちでコンクリートの地面に打ち付けられ、やがて街の雑音を支配した。
空を見上げた。間もなく落ちてくる雨粒に降られ、少年の目が自らを閉じる。彼は目をこじ開けた。霞む視界の中にはまだ空があった。
少年は街の通りを抜け、逸れた道の先の先へと歩く。進むに連れ、路地は段々と街の面影を失くしていく。ものの入り組みは厚く高く増していき、元は標識だったもの、元は建物だったもの、かつて街の一部だった筈の沢山のものがこの場所へと崩れてきているようだった。
コンクリートを踏み進んだ路地の暗い奥深く。少年は立ち止まり、先程の雨に濡れた額を拭う。すっかり雨が止んだのは、高くまで積み重なったガラクタ同士が空で絡まり雫を受け止めている所為だった。
空を遮るガラクタの屋根が解ける事はなく、昼夜問わず暗く閉ざされたこの場所は「路地裏」と呼ばれているらしい。僅かな隙間を縫って入ってきた線のような明かりが時々灰色の地面を照らしては消えていった。
少年はコンクリートの壁に手を伸ばし、そっと触れた。壁を伝っていく少年の指の先には歪な形をした小さな穴があった。いつからか路地の所々で見かけるようになった歪な傷。これもその一つだった。
ふと自分の手の甲に視線を落とし、もう片方の手で触れる。自分の形がそこにあるのを確かめるように。自分が経験したことの記憶を確かめるように。少年は深く思い返しながら、壁にある黒い傷を見つめていた。
あと少し。あと少し、自分の記憶の中に手掛かりがないかと少年は思考を巡らせる。
幼い頃に少年が過ごしたある施設で、似たような傷や穴を何度か見たことがあったのだ。具体的な状況は思い出せない。決まって暗鬱で、不安で、とにかく不快だったことだけを憶えている。だが生憎幼い自分のそれは、今欲しい手掛かりの一つにもならなかった。
少年の側を暗い影がよぎった。
振り向き、右手に抜いたナイフを構える。刃のすぐ先に佇む暗い人影が少年へと手を伸ばしていた。少年は払い除けるが、影は覆い被さるように少年との距離を詰める。
間もなく降ってきたその影の拳であろうもの。左手で受け、ナイフを握ったままの右拳を影の頭部に叩き付けた。衝撃の方向に揺らめく影に回し蹴りでかかとを落とす。それはコンクリートの地面に叩き付けられると、謂わば日陰に日が当たるように、日向に影が入るように、静かに消えていった。
右拳と足に残る敵の重量。覚めるように取り戻される静寂。少年は何も居なくなった目の前を見つめながら再び右手に触れる。ナイフを剥き出しにしている事を思い返し、刃を腰のベルトに収めた。